決して忘れられない1日


4.Rush

 リング上では、拳が、脚が肉体を打つ音が響いていた。
 岬と恵は、デビュー戦としては質の高い打撃戦を展開していた。
 観客も最初は湧いていたのだが、次第に静寂が訪れてきていた。それは、息を飲んで見守っているというわけではなかった。確かに、質の高い打撃戦ではあるが、観客のほとんどはプロレスを見にきているのだ。純粋な打撃戦を見るのであれば、空手やキックボクシングの試合を見ればいい。それに、プロレスの打撃戦は立ち技格闘技の打撃戦とは少し趣きが異なる。なぜなら、立ち技格闘技の究極の目標は一撃必倒である。それに対して、プロレスの打撃は相手のスタミナを奪うことを目的としている。
 勿論、打撃で相手をノックアウトする選手もいないではない。ウェスタン・ラリアットしかり、16文キックしかり、延髄蹴りしかり、である。しかし、それらは、最後の一撃なのである。そこまでの過程では、打撃はスタミナを奪う、もしくは傷めた箇所を狙う、そういう目的で使われるのだ。
 そして、プロレスという格闘技の特異性もある。プロレスという格闘技は、相手を倒す技を見せるのも勿論だが、打たれ強い肉体を見せるものでもある。そして、プロレスは連戦が常である。年に150を越える試合をこなすためには、怪我は御法度である。よって、相手を壊すような技――つまり、一撃必倒の技ではなく、相手のスタミナを奪う技を用いるのだ。これは、本気であるとか本気でないとかいう問題ではない。
 つまり、観客の視点としては、立ち技格闘技を見ている際には、打撃戦というものは、いつKOが起きるかハラハラして見ているわけである。しかし、プロレスでは、それらがどんなに素晴らしくても消耗戦にしかすぎないのだ。要はメリハリの問題である。色んな技の合間に打撃が入るからこそ、見ているものは湧くのである。
 初めにそのことに気づいたのは恵の方だった。
 恵は、岬の中段蹴りを受け止めると、打撃で反撃には出ずに岬をロープに振ったのだった。
 ロープに振られ、戻ってくる岬を恵がフライング・メイヤーで投げる。そして、恵は観客を見回すと、うつ伏せに倒れた岬にまたがり、岬の髪の毛を鷲づかみにした。
 そして、そのまま四方に回る。当然髪の毛を鷲づかみにされた岬も四方に回ることになる。その中で、一番観客の湧いたところで足を止めると、岬の上に腰を降ろし、顎の下に両手をまわすと思いっきり腰をそらさせる。そう、キャメルクラッチである。
 そして、顎の下に回した手のうち、左手をはずすと岬の髪の毛をつかみ、下を向こうとした岬の顔を上向かせ、岬の苦痛に歪む顔を観客に晒してみせた。
 このパフォーマンスで一気に観客は湧きたった。ロープに這いずりよる岬に声援が飛ぶ。何とかロープに逃れた岬から離れると、恵は不敵に笑った。
「ちぇっ。この試合ではヒールはあたしかぁ。ま、岬は美人だからしょーがないかぁ。でも、ヒールも悪くないや。やりたい放題やらせてもらうよ、岬」
 恵は、立ち上った岬の髪をつかむと、頭に膝蹴りを叩きこんだ。そして、ひるんだところをブレンバスターで投げつける。そして、すぐに立ちあがると、遅れて立ち上った岬の頭をめがけて浴びせ蹴りを食らわせた。
 そして、またもやすっくと立ちあがると、観客に向かってアピールしてみせる。
 観客もそれに応えた。恵に対する声援と、立ち上る岬に対する声援が会場をいっぱいにした。
 岬は立ちあがると、自分を真っ直ぐ見据えている恵に微笑んでみせた。岬も、恵が考えたことが分かったのである。自分もどうしたらいいか考えてしまったが、恵が先に突破口を見つけてくれた。岬もそれに乗っからなければならない。それが分かったという合図を岬は送ったのである。
「今度はあたしの番ね。思いっきりいくわよ、恵」
 岬は、言い放つや牽制のローキックを放つ、そして、それが受け止められると、蹴り足をそのまま地につけ、一気に間合いを詰める。そして、首の後ろと相手の左腕に組み付くと、豪快に払い腰で投げる。そして、そのまま恵の左腕に取り付き、アームロックに固めていく。
 恵はポイントをずらしているが、それでもお構いなしに岬は引き絞る。
「いってぇなぁ、この〜」
 恵は叫びながらロープへと這いずっていく。そして、恵の伸ばした右足が、なんとかサードロープにひっかかった。
「岬、ブレイクだ」
 岬は、レフェリーの制止にしたがい技を解くと、立ち上る恵のバックに回る。恵の胴に腕を回すと、後ろに反り投げた。バックドロップである。
 そして、すばやく立ち上ると、恵の立ち上り様にライジングニーを食らわす。
 これで、さっき受けた攻撃をそのままお返ししたことになる。いや、膝蹴り一発まだ貸しかな、岬はそう思ったが、今度は自分が観客にアピールしながら、恵が立ち上るのを待つ。
「甘いっ、甘いよ、岬。倍返しできないようで、プロになれると思ってんの? それとも、あたしのことなめてんのかぁ!」
 恵は立ち上ると、吠えて岬につっかかってくる。岬は後手にまわりつつも、恵の突進を止めるべく、牽制の前蹴りを放つ。
「そんな腰のはいってない蹴りであたしが止まるもんかぁ!」
 恵は前蹴りを食らいつつ、尚も踏みこむ。そして、頭突き、肘うち、と入れて、少し隙間があいたところで上段回し蹴りを放つ。
 岬は真剣にヤバイと思ったのだが、ガードが間に合わなかった。
 もろに左の首筋に恵の右足がぶち当たる。岬は膝が崩れる感覚とともに、意識が遠のくのを感じた。
 ノックアウト?・・・いやだ、まだ戦っていたい、あたしは、まだ、何にも・・・自分の力を見せていない・・・・


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