俺の見つけた宝物



「明は、本当に経営者になりたいのか?」
 何人目かの家庭教師である藤田晋吾が、俺に訊ねてきた。
 俺は、黙って首を横に振った。思えば、俺のことをちゃんと名前で呼んでくれたのは、家庭教師ではこの男が初めてだった。
「仕事だから、俺も教えようとは思う。だけど、やりたくないことをいくら教えたって身にならないからな。そんな無駄なことはしたくない。まあ、俺の評価は君の成績次第らしいけど、俺はそんなことのためにこの会社に入ったわけじゃないからな」
 その言葉に、俺はようやく得心が言った。今までの家庭教師たちは、俺の成績に熱心だった。それは俺の成績が彼らの評価に直結したからだろう。
「俺は、自分のやりたいことのために、夢のために、君のお父さんの会社に入ったんだ。別に君のお父さんの覚えをよくして、昇進したいわけじゃない。でも、明が経営者になりたいと思っているなら、その手助けをするのは悪くない。明にここで恩を売っておけば、後々俺に返してくれるだろう?」
 藤田は黙って聞いている俺に、喋って聞かす。そういえば、今までの大人の中で、彼が初めて本音を聞かせてくれているような気がする。今までの連中は、俺のことをぼっちゃんだなんだとおだてたり、頼み込んだりしながら、やりたくもない勉強をさせるのに夢中だった。
「俺は、経営には向いてないよ。俺だってやる気がなかったわけじゃなかった。ただ、分からないし、追求してやってやろうっていう気にならないんだよ」
 俺も、初めて本音を語った。今までの連中は俺の言葉なんて聞いてくれようともしなかった。
「それじゃあ、明。君は何がやりたい? 何を学びたい? 俺が手伝えることなら、それを教えてあげるよ」
「俺は、外のことが知りたい。俺は、ここから出て行きたい。自由に、自分のやりたいことを探したい・・・」
 俺の目を見ると、藤田は微笑んだ。
「よし、それじゃあ、俺が外のことを教えてあげよう。社長に君の家庭教師の任を解かれるまで、それまでに明が外で何とか生きられるように、俺の知識を教えてあげよう」
 亡くなった母と、姉妹以外で初めてできた味方だった。そして、俺の初めての先生――本当の意味での――だった。

 龍子との会話で、俺は昔のことを思い出していた。
 藤田は、今では姉さんの片腕になっている。最初は俺の家出を手引きしたのがバレてクビになったらしいが、姉さんが実権を持って初めてしたことが、藤田を雇うことだったと聞いている。
 あの企業アーコロジービル――そのビル自体が1つの町とも言える――でしか暮らしたことのなかった俺に、外の世界のことを、世の中のことを、N◎VAのことを教えてくれた藤田に、俺は感謝している。半年前、家出した後に初めて姉さんに会ったとき、その横には藤田がいた。
 俺が彼に「なぜ家出を手伝ってくれたのか」聞くと、彼は事も無げに笑った。
「社長以外の誰もが、明のあの状況をいいものと思ってなかったからな。俺も籠の鳥にはなりたくないから、明の気持ちも分かった。それに、俺は明の成績で一喜一憂する趣味はなかったしな。まあ、アレだ、生きていてくれてよかったよ。死なれてたら目覚めが悪かった」
「ひどいな」
 その言葉に俺は苦笑した。あれから4年たつ。藤田はもっと大きかった気がしていたのだが、実際には今の自分と同じぐらいしかなかったと初めて気づく。
「しかし、立派になったな。やりたいことは見つかったか?」
 俺が頷くと、彼も頷き返してくれた。
「それなら、俺のやったことに意味はあったわけだな。社長にはいまだに厭味を言われるが、まあ、それぐらいは甘受しよう。お前を助けたことで、副社長には信頼してもらえたわけだし」
 それを聞いて、姉さんも笑う。俺が家出した当初、姉さんも藤田を責めたらしい。だが、俺が一番望んでいたのは、あの牢獄から逃れることだった。それを一番知っていた姉さんは、藤田がクビになった直後に、自分が経営陣に入ったら雇うので、連絡先を教えておいてほしいと言っていたそうだ。
 家に戻らないかという姉さんの頼みを丁重に断った後、帰る間際に藤田は俺に耳打ちした。
「さっき言ったのは嘘じゃないが、俺をデザイナーとして拾ってくれたお前の母親に頼まれていたんだ。あたしが死んだら明を頼みますってな。明には好きな道を歩かせてやってほしいって」
 俺が慌てて振り向くと、藤田は手を挙げて去っていった。

「母さん・・・か」
 あそこの記憶は俺にとって不快なものが多いけれど、それでもいい思い出というものも存在はしている。その記憶はほとんどが母さんが生きていた頃の記憶だ。
 母さんはデザイナーだった。そもそも、片瀬ってのは母方の姓だ。そして、祖父の代には紡績というか、生地というか、服飾系の素材を製造するメーカーだったらしい。衣類だけでなくケブラージャケットの素材とかも作っていたというから、幅広くやっていたようだ。しかし、今では片瀬ブランドといえば素材云々ではなく洋服それ自体を指す。素材だけでなくデザイン、縫製なども携わるようになったのは、母さんのデザイナーとしての才能と、母さんの旦那であるアイツの経営における才覚のたまもの、らしい。
 母さんは小さい頃から身体が弱かったらしい。俺ら双子を産んだことで更に体力は落ち、サイバー化に耐えられる体力もなく、俺が8歳の時に死んだ。
 母さんが生きている頃は、アイツも普通の父親だった。仕事ばっかでほとんど顔を見たことなかったけど。でも、俺のことを「次期社長にする」なんて妄執には囚われてなかった。アイツがその妄執に囚われたのは、母さんが死んだから・・・なのかもしれない。
 母さんの記憶と言えば、昼下がりにみんなでお茶をするのが日課だったことだ。母さんの隣に座ると、母さんは頭を撫でながらいつも言っていた。
「明、あなたは好きなように生きなさい。母さんがデザイナーとして自分の道を見つけたように、父さんが会社の経営という道を見つけたように、あなたも自分がやりたいことを見つけるのよ」
 母さんのその言葉は呪文のようで、そして言われる度に、俺は「分かってるよ」と頷いていた。母さんには、アイツが後を継がせたがっているのに気づいていたのかもしれない。そして、俺がそれに全く向いてないことも。
 母さんは、姉さんにはそんなことは言っていなかった。母さんは「お父さんをよろしくね」といつも言っていた。母さんは先が長くないことを悟っていたようだ。そして、それには俺も姉さんも気づいていた。だから、残された時間をホントに大事に過ごしていたように思う。

 ふと気づくと、時計は10時を回っていた。サカタが開店する時間だ。
 ガラにもなく思い出にひたっているもんじゃないな。俺は苦笑すると単車のキーを手に事務所を出る。
 どれもこれも昔のこと。俺は母さんの望んだ通り、自分の好きなように生きている。平和な生活を好んだ母さんには悪いけど、俺の生活は死と隣り合わせに存在している。
 でも、充実してるから。
 物思いの最後に、母さんに告げる。
 俺の記憶の中の母さんは、優しく笑っていた。


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