終章:上手なプレイヤーになるために


 さて、何となくでもTRPGが何か分かっていただけただろうか?
 この章では、最後に上手なTRPGのプレイヤーになってもらうべく、上達するための秘訣というか、周りに迷惑をかけないプレイヤーになるために必要なことを書いていきたいと思う。

 まず、これを守ってほしい。それは、世界観をきちんと守った行動をPCにとらせる、ということだ。そして、それにはずれた行動をとったのならば、どういう結果になっても、あまんじてそれを受ける、ということ。
 たとえば、中世のファンタジーものをやっていたとする。そして、その世界では、魔法というものは珍しいもので、一般大衆からは怖がられている。ゆえに、魔法をへたに使ってはいけない、というものだ。そして、それはきちんとルールブックにも記載されているとする。
 こうした時、一般大衆に好意的に映るような場合以外での魔法の使用は控えるべきである。たとえば、村が怪物に襲われていて、その村を救うために魔法を使う、といった具合である。そうすれば、村の人も好意的に受け入れてくれるだろう。
 「魔法って恐ろしいものだって聞いていたけど、怪物倒してくれてありがとう」ってな具合である。つまり「魔法=恐ろしい」が「魔法使い=怖い人、災いをもたらす人」という認識になっているのである。それが、自分達を守ってくれた。ゆえに「魔法使い=噂で聞くほど恐ろしい人ではない」という認識にかわるのだ。
 逆に、無用なところで魔法を使うとどうなるのだろうか。当然、村人は警戒して、魔法使いだけでなく、一緒にいるほかのPCに対しても否定的になるだろう。宿は断られ、話しかけても逃げられ、あまつさえ、とっとと出て行けと言われる。
 たった1回魔法を無用に使っただけで、こうなってしまうのだ。だから、世界観を理解し、それに沿った行動をするのがいかに大切か分かっていただけると思う。
 また、現代ものでもそうだ。銃の所持が許されていない都市で、でも銃を持ち歩く場合、銃を抜くのは最終手段にするべきである。目撃者がいると、警察に通報されるかもしれない。そうすると、シナリオは警察から逃れるために多くの時間を割かれることになるし、警察に捕まっては元も子もない。銃を見つかっても言い逃れできる状況になって、初めて使うべきなのである(または、見つからない場所で)。
 これらは一例に過ぎない。しかし、全ての行動は「世界観に定められている常識」にのっとって行動するべきなのだ。そして、それからはずれた時、その結果がどのようなものでも甘んじて受けるべきなのだ。文句を言ってはいけない。悪いのは自分なのだから。そう、たとえシナリオが失敗し、自分のPCが死ぬような目にあってもだ。

 次に、ゲームのプロにならないで欲しい。
 ルールに「できない」と書いていないので、やっても構わない、という姿勢はどうだろうか?
 TRPGは「状況を打開する行動を選択する」のを楽しむゲームである。確かにその手段も楽しいが、手段を目的に据えてはいけない。もしも手段が目的になってしまうと、本来その場にはそぐわない手段を取ってしまうからだ。
 また、ルールにこだわりすぎて、自分の行動を制限してしまうことにもなりかねない。ルールを無視するという話ではなく、たとえば確率などで判断し、他のPCの行動を勝手に決めつけやるように命令し、PCの「役柄」を無視した行動を行うというものだ。
 確かに、TRPGというゲームにおいて、「よりよいエンディングを迎える」のが目的ではあるが、楽しむのは過程である。「ストーリー」が自分達の行動によって紡ぎ上げられていくのが楽しいのだ。そこで、ゲーム的要素だけを重視し、PCを数字だけで扱ってしまう。そこにドラマは生まれるのだろうか? そして、その行動は周りのPLの楽しみをも奪ってしまうのではないか?

 次に、最近一番多い傾向だと思うのだが、PCの「役柄」だけにこだわってはいけない。「俺のPCはそんなことやらないよ、こーいう奴だから」と、シナリオを進める上で絶対に重要な行動を起こさない、なんてことはやめてもらいたい。
 こういうプレイは、「自分はTRPGがとっても下手です」と言っているのと同じなのだ。PCの「役柄」にどっぷりとはまってしまい、自分のPCが好きなように行動するのだけが重要で、他はどうでもいい、という姿勢はよくない。ハッキリいって、そういう人間にはTRPGをやる資格はないのではないか?
 「でも、PCの性格付け上、それをやるわけにはいかないよ」という状況があるのは分かる。でも、その時に「だからやらない」というのではなく、「こういう奴だけど、こういう理由から渋々とそれを行う」という風に演出できないだろうか?
 つまり、これこそが「役割を果たす」プレイと「役柄を演出する」プレイのうまい融合なのである。PCとPLは別ものである。PCはデータ付けされ、設定された役柄の上で行動を行おうとする。これは正しい。そして、PLは「よりよいエンディングを迎える」ために「役割を果たす」ことを考える。これも正しい。
 上手いロールプレイというものは、「役柄を演出しつつ、役割を果たす」ということなのである。
 たとえば、「怠惰な」性格付けをされたPCがいるとする。で、シナリオ上、どうしてもある情報を集めなければならない。その時に「こいつは怠惰だから、動こうとしない」では駄目である。その時に、怠惰だからこそ自分が動かずに情報を集めることを考えるべきだ。
 「友人の○○に電話します。『今度女紹介するから、頼まれ事してくれない』」といった具合に。これなら、きちんと「役柄を演出」しつつ「役割を果たして」いる。うまいロールプレイとは、役柄を生かして、どうロールプレイするか、なのだ。もちろん、「怠惰」なのを無視して自分の足で情報を集めるのも推奨できない。それは「役割を果たす」ことを重視して、PCの個性を無視しているから。そして、「怠惰」であるということが、自分でつけたイメージだけでなく、きちんとシステム上のルールを用いているのだとしたら、それはルールを無視したことにもなってしまう。

 最後に、TRPGの醍醐味は葛藤にある、と私は思っている。PLとPCの葛藤、すなわち「役柄」と「役割」の葛藤である。そして、それはすなわち「ドラマ」へとつながっていく。自分のやりたいようにだけ動く人間なんかに魅力なんかありません。
 本当はやりたくないけど、やるべき理由がある。本当はやりたいけど、やってはいけない理由がある。その理由がカッコ良ければ、そのPCはとても魅力的になるのではないだろうか。
 「親の仇、絶対に倒したい。でも、あいつにも子供がいた・・・ちょうどあの時の自分ぐらいの・・・俺に、こいつを切って、自分と同じ境遇の子供を作ることができるのか・・・」といった具合である。

 PCに没頭しすぎないように。PLの観点からPCを見ることを忘れないように。
 「PCの思惑=役柄」「PLの思惑=役割」これを擦りあわせ、行動を演出することこそ、本来のロールプレイである。

 どうか、充実したTRPGライフを送ってほしい。一生付き合えるゲームなのは間違いないから。そして、上達していいプレイヤーになってほしい。
 偉そうに言ってきたけど、これは、わたしの目指すスタイルでもあるのです。一緒に上達していこうではありませんか。
 
「TRPGって何だ?」終わり

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