決して忘れられない1日


6.So, I fight for ...

 遠慮はしない、躊躇しない。自分の全てをぶつける。
 岬は立ちあがりかかった恵に襲いかかる。
 岬は恵の腕をとると、コーナーに振った。恵はリングを対角線上に走り、コーナーポストに打ちつけられる。
 当たる瞬間に反転し背中で受け身を取ったものの、コーナーに打ちつけられた瞬間に、恵の後ろを追いかけるように走ってきていた岬のドロップキックが、顔面に炸裂する。
 いわゆる「串刺しドロップキック」というやつだ。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
 膝から挫けそうになるところを、恵は女の子らしからぬ雄叫びをあげてこらえる。その根性に、観客が沸いた。声援が飛ぶ。
 そして、恵は倒れている岬に躍り掛かる。ドロップキックは自分が倒れるため、相手がこらえてしまうと、今度は攻撃を受ける番になってしまうのだ。
 恵は、うつ伏せになっている岬の足をとると、器用に両足をたたんでいった。そして、組み合わさった足の間に自分の足を通すと、岬の足首を自分の膝裏にひっかける。いわゆるリバース・インディアンデスロックである。A.猪木が得意としていたあの技である。
 恵は、頭を軽く振って意識をはっきりさせると、両手を下から上へと振って客を煽る。声援が足りないと言っているのだ。
 それに応えるように、観客が声を出す。恵は満足そうに頷くと、後ろに倒れて受け身を取る。こうすることで、膝裏にひっかけた岬の足首がさらに引き絞られることになるのだ。岬がうめき声をもらす。
 ちなみに、うつ伏せ状態で両足を畳むようにする技をダブルレッグロックという。こうすると、下になった方の足で上の方になった足が極まるのだ。単純だが痛い技である。
 恵は、倒れては起き上がりを繰り返し、何度も岬の足にダメージを与えていく。岬とて、だまってやられてはいない。腕の力でずりずりと前進し、ロープを目指している。
 観客の声援は、技をかける恵に対するものと、ロープに逃げようとする岬に対するものとで二分されつつあった。岬が何とかロープに腕をかけると、観客から拍手が飛ぶ。
 ロープ・ブレイクとなり、二人はまたリング中央で向かいあった。
 その後、デビュー戦とは思えない技の応酬が続いた。
 恵が肘をとばせば、岬が蹴りかえす。
 パイルドライバーで脳天をマットに突き立てれば、ボストンクラブで腰を極める。
 一年間習い覚えた技を、二人はこれでもかと繰り出す。しかし、一年間一緒に練習した仲でもある。お互いに相手の手の内は知っている。後、お互いに出していない技、それはお互いに「最後の決め技にする」つもりで練習してきた技だった。
 ここまでの技の応酬で、二人とももう疲れきっていた。体中から鈍い痛みと共に力が抜けていき、たまった重い疲労が動きを妨げてくる。
 それでも、二人は何とか身体を起き上がらせ、マットの中央で見合った。二人の口元が自然と綻ぶ。
「楽しいよ、岬。あたしに残された技は、あと1つだけ。受けてくれるかい?」
 恵は右拳を握り締めながら、岬に呟く。
「あたしもよ、恵。ホントに充実しているわ。燃え尽きちゃいそうよ。あたしの技もあと1つだけ。受けてくれるんでしょ?」
 岬も答える。二人は再度微笑みを交わすと、同時に動いた。
 ローキック。打撃系のレスラーにとって、先手を取るための生命線ともいえる技である。
 上から下に、衝撃を逃がさない蹴りが岬の左腿を襲う。
 重い衝撃の、横になぎ払いバランスをくずさせるようなキックが恵の左腿を襲う。
 この蹴り合戦で、先手を奪ったのは恵だった。膝が崩れた岬に対し、恵は何とかバランスを崩さずに持ちこたえると、すばやく蹴り足を引き戻した。
 そして、岬が体勢を整えて頭を起こすのに合わせて、恵は回転する。
 腰と肩を右にひねる。それにつれて足もひねり、残していた首をすばやく右に回転させ、岬に焦点を据える。そして、一番最後に、遠心力を最大限に生かした右拳が回ってくる・・・
 岬が頭をあげた瞬間に、恵の右拳が岬の右頬に炸裂する。いわゆるバックハンドブロー、つまり裏拳である。
 完璧に決ったかに見えた技も、しかし十分ではなかった。
(ちぃっ!)
 恵は頭の中で舌打ちする。蹴り合いから強引に立て直して見舞ったのだが、左足が思うように動かなかったのだ。最後の最後で回転にこらえきれずに左足が崩れた。そのため、力がきちんと乗らなかったのだ。
 そして、崩れ落ちる岬に続いて、恵も倒れ込む。渾身の一撃だっただけに、こらえきれなかった瞬間に、その全てが左足に襲いかかってしまったのだ。

 右足に恵の腿が当たった感触と、左足に鈍い痛みが走ったのが全く同時だった。
 そのまま右足を振り抜き、恵の足をなぎはらおうとしたのだが、左足がもちこたえられなかった。膝が勝手に崩れていく。
 こら、左足。頑張りなさいってば。何のために辛い練習してきたのよ!
 岬は自分の左足を叱咤すると、崩れそうになる左膝を強引に伸ばす。力が抜けていく足に力をこめるという奇妙な感覚を味わいながら、それでも左膝をのばす。
 膝が崩れた時に前のめりになった姿勢も次第に立ち上っていく。その時に、岬の目には回転する恵の身体が映った。
 やっぱり、裏拳なのねっ!
 岬はやばいと思ったのだが、右腕をあげてガードすることはしなかった。いや、正確にはできなかったのだ。鍛えぬいた下半身に反して、上半身――特に腕は疲れきっており、動こうとしなかったからである。
 しかし、岬は顎をひき、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。
 少しでもダメージを小さくする。そして、もう一度立ち上がる。そうしないと、あたしの最後の技を出すことができない・・・・
 衝撃が右頬で爆発した。かなりの衝撃。今日受けた打撃で一番。でも、思ったほどではなかった。これなら何とかなるかもしれない。
 岬は崩れ落ちながらそう思う。そして、崩れる岬の目に映ったのは、左足が崩れ、倒れ込んでくる恵の姿だった。
 なんだ、やっぱり恵も足にきてたんじゃない・・・立ち上がらなくちゃ・・・
 しかし、岬の意志に身体は応えてくれない。ぴくりとも動いてはくれなかった。
 それでも、何とか首だけを巡らせると、足を引き摺りながらこっちにやってくる恵の姿が見えた。
 岬はじたばたするのをやめた。とりあえず、カウント2までは休んでいよう。それがいい。今は寝てても誰も文句は言わない。そして、カウント2で返して、最後にあの技を出す。今出来そうなのはそれだけ。それまでは、身体に力が戻るのを待っていよう。
 岬の上に、柔らかい感触で恵が倒れ込んできた。耳元でマットを叩く音が聞こえる。
 1つ。
 2つ。
 溜めておいた力を解放し、何とか右肩を上げる。
 大歓声が場内を包み込む。
 岬の脇では、マットすれすれで手を止めたレフェリーの姿。そして、指を2本たてる。カウントは2つまでという合図である。
 岬が何とか立ち上がると、恵も膝に手をつきながら立ち上がっていた。
 あたしは全部出したよ、次はそっちの番。
 岬を見つめる恵の目がそう語っていた。
 観客の声が岬を後押しする。
 大丈夫、これならいける!
 岬は自分の身体に残された力を感じると、左足の前蹴りを恵に繰り出す。
 その前蹴りはごく軽いものだった。つい、受け止めてしまうような。
 恵も、分かっていたもののつい受け止めてしまった。そして、受け止めた左足がぐっと重くなる。
 前を見やると、バック宙をする岬の姿が映った。そして、跳ね上がってくる右足。
 顎をひいたものの、バック宙しながらの右蹴上げりが恵の顎を襲う。岬が綺麗に着地を決めたのと、恵がリングに倒れるのが同時であった。
 サマーソルト・キック。
 身体のしなやかさと脚力に自信のある岬だからこそできる技である。滅多に見ることのできない大技に、観客は沸きに沸いた。
 岬は、倒れた恵に覆い被さった。
 レフェリーの手の動きに合わせて、観客が絶叫する。
「わーーーん」
「つーーーー」
「すりーーー」
 溜めてから打ち下ろされたカウント3と共に、観客は「うぉーーー」とも「うわーーー」ともつかない歓声をあげた。それは、デビュー戦にしては珍しい光景であった。
「岬、重いよ」
 下からの声に、慌てて岬が身体を起き上がらせる。
「すごいね、これ、あたしたちの試合に対してしてくれてるんだよね」
 恵が周りを見回しながら岬に言う。
「うん、すごいね、恵が頑張ったから」
 岬が恵に手を貸しながら答える。
「ううん、違うよ。岬も頑張ったからだよ」
 恵は首を振って続ける。
「負けちゃったのは悔しいけど、気持ちいいや。この歓声聞くと、勝ち負けなんてどうでもいいね」
 恵は、本当に晴れ晴れと笑う。岬もそれにつられて笑いを返す。
「そうだね、あたしも、勝ったの忘れてたわ」

 レフェリーによって岬が勝ち名乗りを受け、そして2人は一緒に花道を下がって行く。
「あのね、岬。あたし、美佐子ねーさんに言われてたの」
 2人の健闘を称える歓声の中、恵が岬に話し掛ける。
「あんたは勝ち負けにこだわりすぎる。だから、岬相手に思い切りやってごらんって。相手が岬だって決まったら、勝つためだけに試合する気にどうしてもなれなくて。でも、思ったんだ。岬相手ならとことんやれる、自分の力を全部出し尽くすことができるって」
 そして、にっこりと満面の笑みを岬に向ける。
「だから、こんなにいい試合ができて、お客さんに認めてもらったの、みんな岬のおかげなんだよ、ありがとう、岬」
 岬は一瞬恵の笑顔に見惚れてしまったが、慌ててこたえる。
「とんでもないよ、恵。あたしも美佐子さんに言われてたの。あたしがこんな試合できたのも恵のおかげなんだよ、こっちこそありがとう、恵」
 二人が花道から通路に入ると、そこには美佐子の姿があった。美佐子は二人を抱きしめると、涙声を出した。
「よくやった、二人とも。お前らはあたしの最初の教え子みたいなもんだ。いい試合だったよ。あたしもお前らに負けないようないい試合をする。だから、お前らもこれからいい試合をするんだよ、立派なプロになったね」
 岬と恵は、いつも厳しかった先輩の言葉に、こみ上げるものを堪えきれなかった。
 そんな二人を美佐子は放すと、
「ほら、いい試合した二人が泣いてるんでないよ。控え室に行ってごらん。同期の連中が待ってるよ、お前らのライバルたちがさ」
「はいっ」
 二人は異口同音に返事すると、控え室へと歩き出す。
「恵、今度二人でやる時も今回みたいな試合をしようね」
「もっちろんさ、岬」
 約束する二人。彼女たちの前には、プロレスラーの道が開けたばかりなのである。


 岬は、あの日の日記に目を通していた。あの年の新人ベストバウトに選ばれた、自分達のデビュー戦があった日。
 あの日の日記には、絶対に忘れられないあの日の想いが、誓いが書かれていた。
 岬は、自分のHPに次の文を更新する。
<明日はヤングドラゴン杯の予選、対「恵」戦。あたしも恵も予選を抜けるには負けるわけにはいかない試合。でも、あたしは勝つためだけの試合はしないつもり。ファンのみんななら分かってくれるよね>
 勿論、ファンの皆は分かってくれるに違いない。あの日から2年以上たち、もう若手と呼ばれるようになった。そして、それまでの岬と恵の試合は全て、手に汗握る展開――お互いに全てを出し尽くす試合になるのだから。そして、勝敗も五分五分。岬と恵のファンは、いつもこの試合が組まれることを待っているのだから。

「おーい、岬、いるかぁ。飯食いにいこーぜっ」
 いきなりドアを開けて、恵が顔を出す。
 明日戦う相手だというのに、いつもと変わらぬ天真爛漫さ。
「あとちょっと待ってね、今行くから」
 くすりと笑って岬が答える。
「明日は負けないよ、岬」
「あたしも負けないよ、恵」

 試合の勝敗じゃない。全てをぶつける、出し尽くす。あの日誓った想いの強さ。
 いいライバルがいて幸せだよ。
 二人の心には友情よりも強い絆が、しっかりと結ばれているのである。

終わり


前へ | 戻る