俺の見つけた宝物



CHAPTER1:俺は仕事がしたいんだっ!

 はぁぁぁぁぁ。
 俺は盛大にため息をもらすと、椅子の背もたれに体重を預けた。ぎしぎしと椅子が抗議の悲鳴をあげるが、俺は無視してよりいっそう寄りかかってやる。
 俺の視野の左下隅に「SIGH-27」と文字が浮かぶ。俺の身体に埋め込まれたIANUS(ヤヌス)――人体埋め込み型のトロンだ――にも、今はこんな使用法しかない。
 後ろにひっくりかえるぎりぎりの均衡を保ちつつ隣に目をやると、左腕のガイスト――刃渡り20cm程の前腕埋め込みがたのサイバーアーム。普段は前腕に格納されている――の手入れをしていたチャーリーが同意のうなずきを返してくる。
 はぁぁあ。
 俺は、今日28回目のため息を深々とつくと、今度は机に突っ伏した。
 ここ数日、ため息のつきっぱなしだ。俺は、所長を横目で睨んだ。
 俺の視線に気づいたのか、所長が書類から目を離してこちらを向く。
「なあ、明。そんなに暇だったらデスクワークでもしてくれよ」
「とぉんでもない。俺にそんなことできるわけないっしょ。大体、何の書類が必要なんすか? この事務所開いてから、まだ仕事が一件もないんすよ?」
 事実である。この事務所――マツダ探偵事務所は、去年の暮れに所長と俺とチャーリーの3人で開いた。それから、本日3月1日まで、仕事数は0。依頼はあるのだが、所長は気に入らない依頼は断ってしまうのだ。
 俺がここんとこため息をついているのは、仕事がしたいからなのだ。俺は、命のやりとりをしている、あの瞬間にしか自分の生を実感できない。チャーリーもそういう人間だ。俺たちは生死の境目を分ける、あのゾクゾクした感覚を味わっている時のみ、生きていると感じることができるのだ。
 それが、俺たちの生来のものなのか、スラムで暮らした間にそうなってしまったのかは分からない。分かっていることは、この事務所で髀肉之嘆を味わっている間は死んだも同然ってことだ。
 だから、俺は仕事なら何だっていいんだ。優良子弟の護衛でも、マフィアのボスの護衛でも。企業の重役の暗殺――もっとも、暗殺はチャーリーの仕事だが――でも、構いやしない。
 でも、所長はフェイト――正義の探偵――だから、ありもしない正義を求めてしまう。このトーキョーN◎VA――鎖国中の日本と世界をつなぐ、唯一の場所――のどこに、正義なんてものがあるのだろうか?
 俺がこの街に教えてもらったことは、正義なんてものがあったとしても、それは強いものの正義だということだ。弱い奴は身を寄せ合って、それでもくたばるしかないのだ。くたばって、ごみのように運ばれ処理されちまうだけだ。
 家出して、一文なしになって、それでもスラムで生き延びてきた俺には分かる。弱肉強食こそが、この街の唯一の不文律なのだ。
 生き残るためには、力をつけるしかない。所詮正義なんてのは、強者の綺麗事にすぎない。所長もそれは分かっているはずだ。なのに、なぜ、仕事を選ぶのやら・・・
「流子の弟だから、事務能力もあると思ったんだけどなぁ・・・」
 所長が、こっちの気持ちを知ってか知らずか、書類に視線を戻すと、ため息と共に呟いた。

 ここで、このマツダ探偵事務所の説明でもしておくかな。
 まずは、事務所。この事務所を開くにあたっての資本の大半は、衣服を扱う大手メーカー<片瀬コーポレーション>の副社長であり、所長の妻である片瀬――松田の方がいいのかな――流子が出している。ちなみに、俺の名前は片瀬明。流子の弟である。つまり、所長は義兄。
 それで、仕事数が0でもやっていけるこの事務所、家賃から光熱費などの必要経費は全て、流子姉さんが出している。無論、俺らの給料も。家出したってのに、結局俺は家の世話になっているのも同然なのだ。まったく、どうしてこうなっちまったんだろう。仕事を選ぶ所長が悪いんだ。
 で、所長。名前は松田優。25歳。通称“烈火山”。昔は一匹狼の探偵で、流子姉さんのボディガードやら、色々な調査を行っていて、そのまま結婚した。まぁ、仕事数0つっても、姉さんからの個人的な仕事はあるみたいで、それを所長は今もコツコツと片付けている。それを俺にも手伝えったって、無茶な話。だって、おれはカブトだぜ?
 っと、所長の話だったよな。所長はハザード――災厄――前の日本の俳優に入れ込んでいる。親子二代でファンらしいのだが、所長の名前もその俳優からつけられてるって言っていた。レーザーディスクなんつぅレトロな代物で、その俳優の作品を集めている。所長にその俳優――松田優作っていったかな――の話をさせると、一晩でも喋り続けるらしい。姉さんがぼやいてたのを思い出す。
 所長は凄腕の探偵らしいのだが、俺はまだ所長の仕事ぶりにお目にかかったことはない。ほら仕事数0だから。
 二人目はチャーリー。チャーリーはスラム生まれのスラム育ちで、両親の顔を知らない。捨て子だったらしい。ま、スラムじゃ珍しいことじゃないけどね。そのためか、チャーリーはファミリーネームを名乗らない。幼少の頃より、育て親から暗殺術と剣術を学んできたカゲ――暗殺者――で、俺のスラム時代からの相棒。チャーリーの育ての親と俺のスラム時代の師匠が好敵手だったこともあり、以前は相棒っていうより、俺たちもライバルみたいな関係だった。だけど、ある事件をきっかけにコンビを組むようになった。
 チャーリーの通称は“青い影”。闇の中で印象的に光る青い眼がその由来。綺麗なプラチナブロンドの白人で、17歳。無口なのが唯一にして最大の欠点な男だ。
 で、最後に俺、片瀬明。18歳。13の時に家出してスラムに行った。誰もが認めるカブト――ボディガード――になるのが目標。スラムでは、2年前から“鉄壁”を名乗るようになった。ま、二代目なんだけどね。師匠から受け継いだこの通称を汚さないのが目標。趣味は単車で、何も考えずにぶっとばすのが好きだ。愛車は白の“ステッペンウルフ”で、俺の疾りは見た目かなりヤバイらしいくて、俺のことを“白い愚風”なんて呼ぶヤツもいる。
 スラム時代のことは、いい思い出ばっかりじゃないけど、家にいた時期よりはよっぽど充実していた。師匠に出会えたおかげで、俺は強くなれたし。なりたくもない社長の勉強なんかするより、ああして命のやりとりしてる方が、俺の生き方なんだって、ほんとに理解できたし。
 ただ、師匠にもう会えないのだけが、スラム時代を思い返した時に疼く傷だ。2年たったけど、未だにふっきれてない自分がいる。ふっきるためにも、俺は仕事に没頭したいんだけどな・・・
 はあぁぁぁぁぁぁ。29回目のため息をついた途端に、DAK――ホームシステム・トロン――が女性のホロを映し出す。その女性はサンプリングされたAIで、DAKの操作を手伝ってくれる。ま、一般的にはバディって呼ばれてる。普通は「口やかましいアヒル」にされてるんだが、ま、事務所ってことで「女性オペレーター」のソフトを使ってるってわけだ。
「有線による通信呼出です。接続いたしますか?」
 身長30cmの女性オペレーターが穏やかな事務口調で訊ねてくる。
「所長、電話ですよ。依頼だったら断らないでくださいよ。俺、もうこんな生活耐えられない」
 俺はそう言って、女性オペレータの桜ちゃんに接続するように告げた。桜は一礼すると姿を消す。その代わりに新しいホロが3Dスクリーンに投影される。
 バストショットで宙に投射されている映像は、40才ぐらいの人の良さそうな男性である。ブラウンの髪に薄いブルーの瞳。濃紺のブレザーを着ていて、胸には金のバッチが輝いている。その形は犬。トーキョーN◎VAの住人なら誰でも知っている。それは、特殊警察<ブラックハウンド>のマークである。
「ホットドッグじゃないか。どうしたんだ?」
 所長が驚いた声を出す。どうやらこの二人は知り合いらしい。俺も“ホットドッグ”については少しは知っている。うちの事務所近辺を取り仕切る分署長のはずだ。本名はロブだったはずだ。
「事務所の開設祝いというわけではないんだが、仕事の依頼だ」
 “ホットドッグ”は苦虫を噛み潰したような顔で言った。
 俺はチャーリーに目配せした。チャーリーも青い瞳を輝かせる。やっと仕事ができる。ブラックハウンドが正義ってわけじゃないが、さすがに所長もこの依頼は断らないだろう。
「ブラックハウンドでもてこずるのか。どんな事件なんだ? 聞かせてくれ」
 所長がDAKのカメラの前に歩いてきた。これで、向こうにも所長のホロが映し出されたはずだ。
「話は凄く簡単さ。うちの管轄に新しくできた“サカタ”っていう店が、裏で違法ドラッグを売ってるらしいって話だ」
「そんなことにてこずってるのか? お前のとこも質が落ちたんじゃないか?」
 所長が結構辛辣なことを言う。“ホットドッグ”は苦笑して、
「まあ、そういうな。今回はそう簡単にいかないんだ。簡単なのは話だけでな。どうやらバックに相当大きな組織がついているらしい。うちの隊員がすでに3人殺られててな。うちはもう大分警戒されちまってる。で、お前に頼みたいんだよ。中央の奴らに出張られるのも嫌だしな。あいつら、何でもぶち壊しちまうし。で、どうだ? 引き受けてくれないか、“烈火山”」
 所長、まさか断らないでしょうね? 俺は、視線で訴えかけた。所長は俺の目を見ると苦笑する。
「ここで引き受けないと、うちの所員に殺されそうな雰囲気だからな。それで、報酬は?」
「経費は別に払う。壊した物、殺した者の補償もうちがする。それとは別にプラチナ2枚。これがうちで出せるぎりぎりだ」
「ふふん、相変わらず、金銭面での駆引きをしないヤツだな。OK。それで、ヤクの取引をしているウラを取るだけでいいのか?」
「できたら、上の組織も調べてくれ」
「分かった。近日中に今度はこっちから伺うよ」
 所長は最後にそう言うと、DAKの回線を切る。
「さて、お前ら、念願の仕事だぞ」
 所長が俺たちの顔を見渡して言う。
「ちょっと所長、その店の場所とか、聞かなくてよかったんですか?」
 俺の問いに、所長は軽く笑うと、
「大丈夫だ、データが送られてくるから」
 所長の言葉が終わると同時に、DAKのバディ“桜”が現れる。
「ただいま、ブラックハウンドよりデータが送信されてまいりました。ハードの保存領域には問題がありません。データを受信後、保存いたしますか?」
 事務口調な声に、所長が「ほらな」という顔をしてみせる。なるほど、それぐらいの付き合いってわけか。
 俺は、DAKのタッチパネルで保存領域を指定して受信データを保存させると、そのデータをデータカード3枚にもコピーする。そして、それを一枚ずつ所長とチャーリーに放る。
 所長はカードを受け取りながら、説明する。
「今回の件について、“ホットドッグ”の方で調べたことが全部書かれているはずだ」
 俺は所長の言葉を聞きながら、データカードを右肩と首の付け根のあたりにあるスロットに差し込んだ。
 思考トリガーでIANUSのバディを呼び出す。ちなみに、思考トリガーというのは、思考によってIANUSの操作を行うということだ。まあ、手足を動かすのと同じ感覚だ。何か物を取るのに右手を動かすように、IANUSを操るのだ。まあ、思考トリガーで行える操作というのには限りがあるのだが。
 とにかく、俺はバディを呼び出した。そうすると、俺の左前方の空間に「金髪の男性と黒髪の日本美人」の二つの顔を持つ頭が現れる。ホロ映像のように見えるそれは、実際の空間に現れたわけではない。俺の視覚に対してIANUSが見せているにすぎない。視野周辺部にある例の「SIGH-29」だとか、時刻表示だとかと同じである。
 バディっていうのは、DAKのも同じだが、トロン操作を手助けしてくれるAIだ。容姿や性格、口調などはソフトでいくらでもいじることが可能。俺のIANUSのバディもいじってあって、デフォルトの「老人と少女」から、変更してある。
 バディに対する命令は思考トリガーで行える。一応、声に出した命令も喉についているスロートマイクってやつが拾うけど、小声でいいとはいえ、虚空に向かってぶつぶつ言うのはアブナイから、もっぱら思考トリガーに頼っちまう。
「“ビリー”――バディの名前――データ検索。データカードから“サカタ”の場所を表示」
(OK)とビリーが答える。バディの声は内耳に埋め込まれているマイクロスピーカ――イヤーウィスパー――から発せられるため、俺にしか聞こえない。
(検索完了。地図を表示するぜ)
 ビリーはそう言うと、データを映してくれる。目の前の空間に一部切り取られたかのように黒いスクリーンが現れたかと思うと、そこに地図が映し出される。
 “サカタ”の店はここからそう遠くない場所にあった。通りの並びってわけではないが、同じ区画――といっても、数百m四方ぐらいの区画だが――である。
「所長、どうしますか? すぐに行きますか?」
 俺の言葉に、同じようにデータを調べていた所長がうなずいた。
「当然だ。俺のモットーは“見て、聞いて、推理せよ”だからな」
 所長は、グレーのフェイトコート――昔はトレンチコートって呼ばれてたヤツだ――を羽織ると、玄関へ急いだ。
「明、何してるんだ。置いてくぞ」
 何だ、結構所長も張り切ってるんじゃないか。俺は慌てて装備を整えると、ライダースを肩にひっかけて、チャーリーと一緒に所長の後を追いかけた。


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