神棚の牛


 僕の祖父の家には、神棚があった。
 僕は夏休みによく祖父の家に泊まりに行った。夏には父が決まって地方に長期出張に行っていたためだ。
 僕を祖父の家に預けて、母も父と一緒に出張についていっていた。
 そこで、僕は祖父が神棚に手を合わせる姿をよく目にしたものだ。
「それなぁに?」
 まだ小さく純真だった僕が訊ねると、祖父は「ここには神様がいらっしゃって、見守っていてくださるのだよ」と、優しく教えてくれたものだ。
 そう、それは、まだ小さかった頃のセピア色の思い出である・・・・

「来生良くん、いらっしゃい」
 学校で呼ばれた時、先生の顔の表情が暗かった。僕は、何か悪いことがおこったのだと、それで悟った。
 先生に連れられて校長室に行くと、そこにはトレンチコートを来た中年の男と、警察の制服を着た若い男がいた。
「君が良くんかい?」
 中年の方の男が聞いてきた。僕はうなずいた。
 中年の男は優しい声でこう言った。
「君のお父さんはね、我々が射殺したよ。窃盗団のボスだったんだが、とうとう現場をおさえてね。抵抗したので射殺した。今日の夕方にはニュースになるだろう」
 僕は、何を言われたか、分かったのだが理解できなかった。
「ここにいるのが、君のお父さんに発砲した警官だ。彼が君のお父さんの遺言を聞いている。それを伝えるために、我々は君に会いにきたんだ」
 僕は、その若い警官を見上げた。彼は、とってもすまなさそうな表情をしていたが、僕にこう言ってくれた。
「君のお父さんは、最後にこう言い残しました。
 「良に、息子にスマンと謝ってくれ。そして、こんな人間にはならずに、全うな大人になってくれ。爺ちゃんの言うことをよく聞いて、元気に育ってくれ」
 そう言って、君のお父さんは息をひきとりました」
 祖父と2人でそれからは暮らした。母も捕まって刑務所にいったからだ。
 僕は、祖父と2人で神棚に祈ってくらした。
 いじめはすごいものだった。祖父も世間の目に耐えて、よく僕を育ててくれたと思う。早くこの生活が良くなるように・・・僕は祖父と神棚にずっと祈っていたものだ。

 ある日を境に生活は一変した。母が出所したのである。
 刑期よりも早かった。模範囚だった母は仮出所できたのである。
 その頃、もう世間の目も変っていた。そんな昔の事件は忘れられていたのだ。
 そう、それからは平穏な日々が続いた。この生活が続くように、神棚に祈っていたものだ。
 そして、それから十数年がたった。祖父はなくなり、僕も社会に出て独立した。
 神棚のことなんか、すっかり忘れていた。
 そう、今の今迄だ。

 僕は今、上司に首を言い渡されたところだ。
 そして、さっき、階段から落ちた。
 信号には必ず捕まるし、電車は絶対に目の前でドアがしまる。
 歩いていればその筋の人にぶつかるし、財布も落とした。
 そして、さっき電話があったのだ、母から。
 受話器を取ると、母は最初から泣いていた。
「ごめんね、良。神棚が、神棚が・・・」
 泣いていて、何を聞いてもちゃんとした返事が返ってこない。しかし、何とかして聞き出した話を要約すると、次のような次第らしい。
 母は、毎日かかさず朝夕と神棚に祈りつづけていたそうだ。
 そして、今日、母の家は改築することになっていた。その時、神棚をきちんと撤去したらしい。そして、作業の邪魔にならないところにおいて、ちょっと(母はこのちょっとの部分を強調していた)目を離した隙に、らしい。
 通りすがりの一頭の牛が、神棚の中の神札を飲み込んでしまったのだそうだ。
 母は、あんなところに牛が通りがかるなんて、考えられないと言っていた。全く同意見だ。
 ましてや、神棚の社から、綺麗に神札だけを取り出して飲み込むなんて、ありえないぢゃない、とも言っていた。まことにもって同意見である。
 そして、その牛はそのままどっかに去っていってしまったそうだ。母は警察に捜索を依頼したそうだが、すげなく断られたそうだ。
 そして、夕方の祈りができなかったのだそうだ。そして、僕はその被害を一身に受けた、ということらしい。

 僕は今、牛を探しに母の元に行くところだ。
 あ痛、箪笥の角に足の小指を・・・
 幸いにも時間ならたくさんある。何たって、明日から会社に出る必要はないんだ。
 思う存分、牛を探してやる。あ、雨が降ってきた・・・傘は持ってきてないのに・・・
 そして、神札に祈りを捧げれば、今まで通りの生活に戻れるはずだ。
 えぇっ? 山の手線で人身事故ぉ?
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 無事、牛を探し出せるのはいつのことやら。
 あ、痛・・・・

終わり


戻る