失われたもの


 チバ・シティーの外淵にへばりつくようにして存在する公園に、彼の姿はあった。
 彼は、公園を見回す。
 ここには、ストレート・キッズとホームレスが、ダンボールやベニヤで築いた城がところせましとひしめき合っている。
 待ち合わせ場所にこんな場所を選んだ、クライアントの気が知れなかった。
 明日は我が身
 そんな言葉が脳裏に浮かび、彼――来生良は自嘲気味に苦笑を漏らした。

 チバ・シティーは、強大な日系及び多国籍企業が林立するトーキョーとは違い、無国籍とも言える企業がシノギを削っている街である。
 トーキョーは企業の持つ私兵、および軍隊と言ってもはばからない国家警察が治安を維持しているため、整然とし、非情な秩序で統制されている。
 チバ・シティーは開け放たれた街である。トーキョーのために用意されたスケープゴートとも言えなくはないが、チバ・シティーはアナーキーで、ヤクザとマフィアが牛耳っている街である。
 そして、日本という巨大市場に参画を狙う各種企業が争いを繰り広げている。

 良は、その中で特異な職についていた。
 彼の仕事は「記憶屋」という。
 自分の頭の中に埋め込んだ記憶領域に情報を保存し、そして決められた場所に行き、その情報を読み出させる。
 それが彼の仕事だ。
 産業スパイは、企業に潜入する。そこでスパイが情報を入手しても、それを持ち出すのはリスクを伴う。そこで、彼の頭に情報を保存するのだ。
 彼は、自分に埋め込まれた記憶を読み取ることはできない。データのやりとりは耳の後ろのジャックにケーブルを差し込んで、そこで行うしかない。
 彼は、顔のない産業スパイにデータを埋め込まれ、そして指定された場所に行きデータを吸い取ってもらう。そして、仕事は終わり。彼の存在がばれるようなヘマをスパイがおかさない限り、彼の身の安全は保障されている。彼にとってはつまらない仕事だ。
 呼ばれていき、そして指定された場所まで行く。それだけ。自分でするのは「移動」だけなのだ。

 落ちぶれた者、未来のない者、そして未来を夢見てあがく者。
 そのような人で埋め尽くされた無気力が漂う公園で、彼は悄然と立ち尽くしていた。
 合い言葉で呼ばれれば、振り返り、頭の中の重荷を吸い出してもらう。
 そして報酬を受け取って終わり。
 彼が面白くもなく声がかかるのを待っていると、自分の腰の後ろから、声が聞こえた。
「おっじさんっ。何もかも全部忘れたいのかい?」
 元気な溌剌とした少女の声だった。
 良は、はっとして振り返ると、自分の腰の高さにある少女の顔に、視線を落とした。
「君が、受取人なのかい?」
「???」
 少女は首を傾げる。良も首を傾げる。
 何もかも全部忘れたい、それが良の指定する合い言葉である。
「受取りってのはよく分からないけど、嫌なコト、全部忘れさせてあげるよ。一晩たったの1万円。破格だろ、どう?」
 15歳ぐらいの少女は、ミニスカートと胸元のあいたブラウスを着ていた。ただ、体の成熟という点ではまだまだコドモである。なんてことはない、街娼である。コドモの。珍しいことではないな、と良は苦笑する。
「あいにくだけど、俺はコドモを抱く趣味はないんだ」
「あたしはコドモじゃないよっ。十分オトナ。オトコの悦ばせ方ぐらい心得てるんだからね!」
 良は微笑うと、少女の頭に優しく手を置いた。
「指定された時間に合い言葉を言ったのはお前だからな。金をもらうハズが使うってところに釈然としないものが残るが、たまにはいいだろう。一晩、お前を買うよ」
 それを聞いて、少女は頭に置かれた手を振り払おうとした動作を止めると、顔を輝かせた。
「ホントかいっ。それじゃ、うんとサービスするよっ」
「勘違いするなよ? 買ったからって抱くってわけじゃない。俺はそんなのじゃ悦ばないからな。どう俺を悦ばせてくれるか、期待してるぜ」
 良はくしゃっと少女の頭をなでくりまわすと、腕を差し出す。
 少女はちょっと背伸びするように腕を絡めると、困ったように良を見上げた。
「それ、困るよ。年齢差を考えておくれよ。アレ以外に何で悦ばせればいいかなんて、分からないよ」
 良はくすくすと笑うと、大事なことを打ち明けるかのように、少女に囁いた。
「女が楽しそうにしてるのを見るのも、男の悦びの1つなんだぜ?」


 良は、薄汚れたガレージの中で、パイプイスに座っていた。
 彼の耳の後ろからはケーブルが延びており、それはターミナルへと続いていた。
 それを操っている男が、舌打ちしながらキーボードを叩いている。
「ダメだ。何か余計な記憶がジャマをしている。パスワードを認識しない」
「何とかならんのか?」
 良の傍らでショットガンを下げて立っている男が、良のもとからターミナルへと歩み寄る。
「荒療治だが、やってやれないことはない、ただ」
 キーボードを叩く手を止めず、男は視線を良へ向ける。
「その男の頭の中がどうなるかわからないけどな」
「構わないだろ、もう壊れてるようなもんだ」
 答えて、ショットガンを下げた男は良の傍らへと戻る。
「何かブツブツ呟いてるだけだしな」
 良は、肩を落としてうな垂れるようにパイプイスに凭れている。コンクリートの床に視線を据えているが、彼が何も見てはいないのは明らかだった。
「・・・・・澄・・・・・」
 良の脳裏にはフラッシュバックのように、昨晩の出来事が蘇っていた。
 ファーストフードで食事、映画・・・歳相応の表情を見せて笑う少女。
 遊び疲れて良に凭れて眠る可愛い寝顔。
 跳ね起きて、良を見つけて、安堵する笑顔。
 両親について語る時の冷めた表情。
 明け始めた空を見ながら飲んだコーヒー。
 銃口を見て怯える顔。
 額に穿たれた穴。
 動かない体。
 死んだ目。
 死に追いやった自分。
 どこで間違えたのかは分かっていた。
 そして、突然、何も分からなくなった。
 虚無。

「OK。情報を読み込めた。仕事は終わりだ」
 ターミナルからデータチップを抜き取りながら、男が声をかける。
「こいつは用済みだな、どうする? 消すか?」
 男は、ショットガンで良の頭を小突く。
「必要ないだろ。そいつはただの記憶屋だ。それに、もう壊れちまってる」
「それもそうだな」


 男2人が去った後、良は不意に我に帰った。
 良はここ最近のことを覚えていなかった。右手に何か握り締めていることに気付き、手を開いてみると、そこには映画の半券があった。
 見た覚えのない映画だった。ただ、心臓がチクリと痛んだ。


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