異界の門


木下 達樹:1

 皇居内にあるアクス本部。
 第一小隊のメンバーが、事務室――とは名ばかりで休憩室と化している――で待機している。だが、その中に木下達樹の姿はない。
 事務室の一隅にはソファが並べられており、テレビまで置いてある。テレビ画面は2時間サスペンスを映していて、藤涼子が画面を食い入るように見つめながら、きっとコイツが犯人よ、などと隣にすわる井上健二と話していたりする。
 アクスの隊員は、出動がかかれば命を失う危険を抱えながら異生物と戦うが、だからといって待機中もピリピリしているわけではない。3交代制の24時間シフト勤務だが、8時間も緊張しっぱなしでは身が持たない。だから、隊員のほとんどは出動まではリラックスしている。
 もっとも、だからといって訓練も怠らないし、普段から装備の点検にも気を配っている。10日続けて出動がないときもあれば、1日で3度出動がかかるときもある。油断が命取りになることを知っている彼らは、また、休めるときにはしっかり休まなくてはならないことも熟知していた。
 戦うのが専門の涼子や健二を横目に、コネクタである鈴木緑は自分のデスクでモニタを眺めていたりする。前回の戦闘のデータを入力したり、他の部隊が戦った事例などをチェックして効果的な戦術を考えたり、戦闘に適した場所をピックアップしたりと、彼女にはやることが色々とある。
 室長である須藤義人などは、書類に目を通してはハンコを押したりといった事務仕事をこなすこともあれば、古武術の師範代であるため訓練室で隊員に稽古をつけることもある。
 第一小隊最年少である田中秀は、高校を中退してアクスに入った。勉強は嫌いだが、最終学歴が高校中退というのもイヤなようで、大検資格取得用の問題集と格闘していたりする。

 だが、達樹の姿が事務室で見られることは少ない。
 達樹を探すのであれば、まず訓練室か射撃室を覗いてみるとよい。だが、大抵の場合、達樹は準備室にいる。準備室――またの名を格納庫。隊員の装備が格納されている部屋である。
「タツにぃ」
 田中秀が、準備室の扉を開けて呼びかける。準備室に置かれたベンチに座り込んでいる達樹が顔を上げると、秀はたたっと小走りで達樹に近寄り、隣に座り込んだ。
「ねえさんと緑さんが夜食作ったから、食べにおいでって」
「涼子が? あいつ、また懲りずに料理なんてしてるのか」
 やれやれ、という表情をする達樹。だが、秀もやれやれという顔で達樹を見ている。まだ出動がかかってもいないのに、アーマージャケットを着込んでショットガンを腰にぶら下げ、ハンドガンをもてあそんでいる。
「タツにぃもさ、どうせ自分だけ準備万端でも、みんなが用意するの待つことになるんだから、イッショに部屋で待ってればいいのに」
 何度も繰り返した言葉。その言葉の無意味さを、秀は知ってはいる。だけど、だからと言って諦めようとは思わない。周りが諦めて、認めてはいけないのだと秀は思っている。そして、他のメンバーが自分にこの役目を期待していることも感じている。達樹と一番仲がよく、物怖じしない自分しか、この言葉は言えないのだ。
「秀のいってることは分かるが、これは性分でな。事務室にいると落ち着かないんだよ。ヤツラが出やがったら、すぐにでも叩き殺したくて焦っちまう。だから、事前に準備しておかないとな」
 これも、何度聞いた答えだろう。だけど、諦めてはいけないのだ、と秀は心の中でつぶやく。認めてはいけないのだ。見逃すことは、罪なのだ。救いの手を差し伸べないのは、救われない存在だと相手に対して思っていることと等しい。それは、自分が一番知っている。
 他ならぬ自分が、差し伸べられた手によって救われたのだから。親すら忌避した自分という存在を必要としてくれて、そして仲間として迎え入れ、信頼してくれた。それが自分にとってどれだけ救いになったのか。
 達樹が背負っている闇が、自分のものとはまったく異質なものであることは理解できる。どうすれば、その闇から救い出せるのだろう。秀にはそれが分からない。でも、独りでこんなところで銃を握り締めているのがいいこととは、秀には思えなかった。だから、秀はここから達樹を引っ張り出すのだ。
「ほらほら、早く行こうよ」
 秀は立ち上がると、達樹の腕を掴んで引っ張る。
 秀に引きづられるようにして達樹は立ち上がる。苦笑しながら銃器をラックに戻すと、文字通り秀に背中を押されて事務室へと入っていった。

 給湯室には簡易と呼ぶには充分すぎるキッチンがついていて、4ドアの大型の冷蔵庫まで置いてある。元々は小さめの冷蔵庫しかなかったのだが、アクスの女性陣の要望によって設置されたのだ。野菜などの食材も、気づいた人が買い足していくので、凝ったものでなければたいていの食材も揃う。夜勤や準夜勤で外食になりがちな生活を改めるために、大活躍しているというわけだった。
 達樹が事務室に入ると、涼子が笑いかけてきた。エプロンをして袖をまくっている姿からは、凄腕のスナイパーという雰囲気は感じられない。これで、戦闘になると最後の一撃を降すのだから、女性というのは油断ならないと達樹は思う。
「今日こそは、達樹に美味しいって言わせてみせるからね」
 涼子の鼻息は荒い。隣には困り顔の緑がいる。また味見役としてフル回転させられたらしい。
「てことは、また肉じゃがか?」
 達樹の言葉に、涼子はうなずく。いつだったか、酔った勢いで口を滑らせて以来、涼子が自分のために作るものは肉じゃがなのだ。
 夜勤の度に肉じゃがを食べさせられるのも迷惑だ、という思いとともに、そうやって自分に気遣ってくれるのを嬉しいと思う気持ちもある。妻が亡くなったことに同情などを向けられると以前は逆に気分を害したものだが、今では素直に喜べる自分も感じている。これは進歩なのだろうか、達樹は記憶の中の妻に問い掛ける。
「思い出の味には適わないだろうけど、私なりにがんばって作ったからね!」
「でも、一番がんばったのは私の舌だと思う・・・」
 涼子の言葉に、緑のつぶやきが続く。
「妻の肉じゃがは世界一だから、適うわけがないんだ」
 達樹は笑いながら席につく。妻が亡くなって――異性物によって殺されて3年以上たつ。酒の席で妻の料理の話になり、彼女の肉じゃがをもう一度食べたいともらしたのは何ヶ月前だったか。それ以来、涼子はことあるごとに肉じゃがを作る。
 彼女が妻の代わりに作っているわけじゃないことは承知している。結局、生きている人間は生きている人間同士で暮らしていかなくてはならないということだ。涼子以外が作ったのでは、達樹は口にすることはなかったかもしれない。達樹がケチをつけながら、それでも肉じゃがを食べるのは、涼子もまた、大事な家族を同じように失っていることを知っているからだ。
 席につくと、大皿から各自の皿に緑が取り分けてくれる。自分の前におかれた肉じゃがからは、とてもいい匂いがした。
 達樹は、自分に注がれている涼子の視線を感じながら、肉じゃがを口に運ぶ。胸の前で手を握り締めている涼子に向かって、達樹は素直な感想を口にした。
「うまくなったな、涼子。味見役が優秀なのかもしれないけどな。まあ、俺の好みで言えば、もう少しつゆっぽくて甘めの方が好きだけど」
「ホント? それじゃあ、次はもっと好みに近づけるようにするね」
 涼子は嬉しそうだが、隣の緑は複雑な表情をした。涼子は味覚に乏しい。そのため、涼子が料理する時は、常に緑が味見役として傍にいて、塩気をもう少しとか砂糖をもう少しとか指示を出さなくてはならないのだ。
 涼子はレシピを見ながらたいていの料理は作れるのだが、「少々」「適宜」などといった記述だとどれぐらい入れればいいのかが分からない。目分量の料理ができないのだ。味見をして確かめようにも、味見をしても涼子にはよく分からない。家では味見は弟の役目となっているが、ここではその役を緑がかってでているというわけだった。
「もう少し甘め、ですね。分かりました。覚えておきます」
 ため息とともに緑がうなずく。達樹は悪いな、と笑いかける。涼子が中途半端なところで妥協しないのが分かっているからこそ、達樹は記憶にある妻の味と比較して注文をつけている。
 まあ、俺もこのやりとりを楽しめているのかもしれないな。
 そう思って、達樹はまた、肉じゃがを口に運ぶ。
 こうして仲間と時間を過ごすのは気分のいいものだと、達樹は理解している。それでも、心のどこかで気が急いているのも実感する。本当は異生物など現れないにこしたことはない。だが、達樹は異生物との戦いを求めている。最初は復讐のためにアクスに入ることを望んだ。しかし、今はどうなのだろうか。異生物と戦う時に、妻の仇として戦っているのだろうか。

 涼子が食器を片付けていると、アラートが鳴った。慌てて緑が通信機に駆け寄る。
「隊長、大塚近辺で異生物が目撃されました。被害状況は不明。ただいま所轄の警察官が現場を確保し、地域住民の避難を開始したところだそうです」
「異生物のタイプは?」
「鳥獣小型です。過去の事例から考えても、群れ単位で発生していると思われます」
「了解した。装備タイプBで準備しろ。達樹、秀、今回は前衛がきばる番だぞ。涼子、健二、お前らは小口径ライフルで援護にまわってくれ」
 須藤の言葉に隊員はうなずくと、準備室へと走る。ここからは時間との勝負になる。いかに早く仕留めるかによって、被害はかなり変わってくるのだ。
「大塚方面の道路状況はやや混みです。ヘリを出します。屋上ヘリポートに集合してください」
 準備室へと走る隊員たちの背後に緑の声が飛ぶ。須藤が手を挙げて了解の旨を伝えたのを確認すると、緑は自分のノートPCをひっつかむと、屋上へと向かった。
 達樹は準備室で自分のハンドガンとショットガンを装備する。予備のマガジンも腰のハーネスにねじ込むと、足早に屋上へと向かう。達樹が屋上に到着すると、すでに暖気を終えたヘリが待機している。移動用の戦闘用ヘリである。武装はされていないものの、後部ハッチは比較的大きめで6人乗っても狭くはない。達樹は入り口に一番近い場所に陣取る。ここはポインタである自分の定位置なのだ。
 達樹に遅れること数分で、残りのメンバーが乗り込む。一番最後に乗り込むのはいつも通り涼子である。準備に時間がかかるというよりも、エレベーターからここまでの移動で遅れをとるのだが。
 達樹はイライラと気が急いている自分を感じている。どうしてだろう、出動がかかるといつもこうだ。早く現場に着いて、早く敵の姿を見たい。敵を視野に入れないとなぜか落ち着かないのだ。
 イライラとした雰囲気を感じてか、秀が心配そうな表情で達樹を見つめる。達樹が現場に着くまでいらついているのはいつものことだし、突出しすぎて身を危険に晒したこともない。いつだって自分と隊長の援護を受けながら行動しているのは見て取れる。だからこそ隊長も何も言わないのだろう。結局は信頼できるかどうかなのだ。
 ――信頼は、しているよ。でも、だからって心配しないわけにはいかない・・・
 秀は達樹の横顔を見ながら、いつものように援護をしっかりと行おうと胸に誓う。
 皇居から大塚まで、車では急いだとしても30分近くはかかる。しかし、邪魔のない空を直線距離で飛ばせば10分もせずに到着できる。
「異生物は南大塚から茗荷谷付近にて目撃されています。現在、警察官がロックオンしてくれていますが、数が多いため網の目を抜けている可能性もあります。十分な警戒をお願いします」
 緑の言葉に頷くと、須藤が続けて指示を出す。
「中学校の校庭に着陸する。達樹と涼子はヘリから援護を頼む。緑は引き続き警察との連係を頼む。ロックオンしたターゲットを1つずつクリアにしていく。達樹、いつも通りお前が先陣だ。警察からロックオンを引き継げ。周辺への被害を抑えるために、散弾は使用するなよ。なるべく射線上に窓を入れるな。できるだけ戦闘は銃器を使わない俺と秀でやる」
「了解。一粒弾を使うほどの相手でもなさそうだし、基本ハンドガンでいきます。ですけど隊長、そんなこと言って、俺の手を煩わせないでくださいよ?」
 達樹は待ちかねたように笑うと、ハッチを開ける。ヘリが校庭に着陸しきるのを待ちきれないように達樹は飛び降りる。
「秀、気をつけてね」
 涼子は、後を追って飛び降りようとする秀の頭を撫でる。
「それと、達樹が無茶しないようによろしくね?」
 涼子の言葉に、秀は真面目な顔で頷く。
 ――ねえさんも何か、感じてたのかな。
 秀は達樹の後を追いながら、疑問を振り払った。今は余計なことを考えている場合じゃない。いつも通り、敵を発見して倒すのだ。
 意識して腕を獣へと変じさせる。幼少より周囲からも両親からも忌避された、獣毛に覆われた腕。ナイフのように鋭く煌く鉤爪を剥き出すと、秀は自分が人間でないような気分に襲われる。いつになっても自分のこの姿に慣れることはない。だけど、今はこの力ゆえに人の役に立っている。仲間の誰もこの姿を恐れないし、忌避することもない。
 ――ボクの大事な人たちは、ボクが守る。多分それが、こう生まれついた意味だから。

「達樹さん、春日通りを新大塚駅方面へ向かってください。新大塚駅前で警察が待機しています。彼からロックオンを引き受けてください。現在ターゲットは3つです。警察側ではターゲットの漏れはないと言っています」
 緑の指示を受け、達樹は新大塚駅方面へと移動する。それに秀と須藤が続く。
 上空ではヘリが3人を追尾する。ヘリのライトが暗い夜道を照らすが、彼ら3人に光を当てたりはしない。常に彼らの前や後ろを照らしている。自分が光の中に入ってしまうと、光の外が見えなくなってしまうためだ。
 新大塚駅前で警官と合流すると、達樹は異生物のもとへと急ぐ。鳥獣小型は人を襲うようなことはないが、飼い犬などに襲い掛かる。攻撃力は強くないのだが、低空とはいえ空を飛べる上、木や物陰などに身を隠すため、一旦見失うと探し出すのが面倒である。
 警官に案内されるまま進んでいくと、更に1人の警官が街路樹に目を凝らしていた。
「見えますか? あそこの街路樹に3匹います」
 警官が指し示す場所を見上げ、達樹は頷いた。
「ごくろうさん、後は引き継ごう。自分の持ち場に帰ってくれて結構だ」
 達樹は警官を下がらせると、腰のハーネスにぶら下げたフラッシュグレネード(閃光弾)を手にとる。
「隊長、秀、今落とします、合図まで目をつぶっててください」
 達樹はヘルメットについているバイザーを降ろす。アイシールドにかぶせたそのバイザーはサングラスのように黒塗りで、強烈な光から目を守る効果がある。ただし、夜につけてしまうと全くの暗闇となってしまう。だから、実際に戦う須藤と秀にはつけさせない。
 達樹は記憶した異生物がいる位置めがけてフラッシュグレネードを放る。コントロール、タイミングとも申し分なく、異生物の鼻先で閃光が爆発した。
 視界を奪われ、恐慌をきたした異生物が街路樹から落ちてくる。須藤と秀は目をつぶっていたため、閃光の影響はない。落ちてきた異生物に駆け寄ると、異生物が体勢を整える間も与えない。秀の鉤爪が異生物の身を裂き、須藤の下突きが異生物の内臓を破壊した。
 援護体勢をとろうと、達樹がバイザーを上げて銃を構えたときには、すでに3匹とも死体となって路上に横たわっていた。
「相変わらず手際のよいことで。俺にも1つ残してくれてもいいのに」
「銃はなるべく使いたくないといわなかったか?」
 へらっと笑った達樹の言葉に、須藤が真面目な調子で答える。達樹は肩を竦めると、頭上のヘリを振り仰いだ。
「緑、ターゲットは1つ消滅。次のターゲットは?」

 緑の指示に従い3人は移動すると、そこでも警官から引きついたターゲットを沈黙させる。残りのターゲットは1つ。茗荷谷駅の先にある播磨坂方面に移動中だという。
 播磨坂は桜の名所でもあるが、今の季節は初夏。桜の木は葉を繁らせている。桜並木の入り口に立つ警官が、桜並木を指し示している。
「ご苦労様です、異生物は桜の木に止まっています。あそこの警官が捕捉しています」
「ごくろーさん、引き継ぐから帰っていーよ」
 達樹は桜並木の中ほどで上を見上げている警官のところにいくと、同じように警官を下がらせた。
 ポインタの役目は、異生物を倒しやすい場所に追い出すこと、そして、潜んでいる異生物を見つけ出すことである。今回のように警官がターゲットを捕捉してくれている場合はいいが、どの辺りという情報だけで駆けずり回って探し出すこともある。
 そして、達樹は警官からの情報だけを鵜呑みにするようなことはなかった。
 自分が桜並木から追い出した異生物を、須藤と秀が退治するのを横目に、達樹は違和感を感じていた。
「よし、これで全てクリアーだな」
 鳥獣小型の異生物が全て動かなくなったのを確認した須藤が、撤退の命令を出そうとしたのを、達樹は手を挙げて制する。
「隊長、待ってください。今、俺たちが引き上げるのはまずい」
「なぜだ?」
「理由はまだわかりませんが、俺、何かひっかかってるんです。まだ、俺の中にある焦りが鎮まらない」
 須藤はその言葉を聞き、頷いた。理屈ではないところで働く力――勘や第六感といわれるものを疎んじる愚は犯すべきではないのだ。そして、マナという異界から流れ込んできたものが、人のこうした能力を高めることがある。須藤は、達樹が何かしら感じていることを疑わない。
「そうだ、何か違和感があった。それは何だ?」
 達樹は自分に言い聞かせるように呟いている。
「そう。鳥獣小型・・・こいつらはこんなに簡単に倒せるヤツだったか? ヤツらの動きは素早くて、空を飛び、分散する・・・もっと駆け回って、それこそ見逃したヤツの捜索に1日費やすような」
 達樹の脳裏には、うずくまるように、隠れるように縮こまる異生物の姿が浮かぶ。
「そう、今回のヤツらは、明らかにいつもと違った。木の中で隠れるようにうずくまっていた・・・」
 はっとして達樹は顔を上げる。真剣な眼差しを須藤に向ける。
「まずい、隊長。ヤツらは何かから逃げて、隠れていた。ヤツらがこうまで隠れる相手、それはヤツらを捕食している異生物しかありえない」
 それを聞いて、須藤は頷きつつ無線の先の緑に叫ぶ。
「緑、ヤツらは大塚方面からこっちに流れてきたと言ったな。ヤツらは天敵から逃げていたに違いない。ということは、大塚方面に存在の可能性ありだ。急行しろ。俺らもすぐに行く」
「分かりました。パトカーを回させます。それで急いでください。私たちは先行します」
 緑の返答があると同時に、頭上のヘリが回頭して大塚方面へと姿を小さくしていく。
 須藤はヘリを見送ると。イライラと待つ風情の達樹の肩に手を置く。
「達樹、俺は今日の件で確信したぞ。お前、異能に目覚めたな。いや、前からその兆しはあったはずだ。今のお前には、きっと異生物の存在が感じ取れるはず・・・」
 達樹は振り返って須藤を見る。冗談と笑い飛ばそうとしたが、須藤の目の真剣さに言葉を飲み込んだ。
「いつからか、お前が現場で焦燥感に囚われてるのを感じていた。その焦りがどこから来ているのか、精神的なものかと思ったが、それは異生物の存在を感じているんだろう。度重なる出動の中で、ポインタとして磨いたお前の能力が、異生物の存在を感知して、それが焦りとなっているんだ。だから、本部ではお前はいつも落ち着かない。それはそうだ。本部には異界人がいるからな。落ち着くわけがない」
 ――そうか、そうだったのか。
 達樹は、須藤の言葉に頷いた。それならば、納得がいく。この追い立てられるような感覚は、異生物が身近に存在していることを感じているからなのか、と。だとしたら・・・
「もしかしたら、俺はロックオンされてない異生物を探し当てることができるかもしれない・・・ですね?」
 達樹の言葉に、須藤は頷くと、達樹の頭をつつく。
「もしかしたら、じゃないだろう。お前は今までだって、脇目もふらずに異生物に向かっていたぞ。どの辺りにいる、という情報だけで、俺たちはどこに隠れているのか見当がつかなくても、お前はいつだって一直線だった。だから、今回もお前が探し出すんだ」
 達樹は力強く頷くと、駆けつけたパトカーに乗り込んだ。

「緑、どうするの? ターゲットの居場所がわからないと、私たち、どうしようもないよ?」
 ヘリの中で涼子は、忙しくキーボードを叩く緑に訊ねる。仕事の邪魔をしたくはなかったが、涼子にはどうしようもない。
「今のところ、目撃情報はありません。鳥獣小型ということで、住民の方々には外出禁止令が出ています。通報がないので、まだ民家が襲われたということはなさそうです。これは、実際に外に出て探すしかないですが・・・」
 緑も途方にくれているようだった。いつもは目撃情報があり、確かに「いる」ということを確認した上での出動である。地域の警察と連係をとり、アタックポイントをピックアップし、必要なバックアップを行うのが彼女の任務である。達樹の言葉と須藤の判断を疑うことはない。だから、間違いなく鳥獣小型を捕食するような中〜大型の異生物がいるのは間違いないのだろう。しかし、どこに・・・? 探索するべきエリアの絞込みすら緑には行えない。
「探しに降りようか?」
 涼子の言葉に、緑は大慌てで否定する。とんでもない、後衛が異生物と接敵するようなことは避けなければならない。涼子は、自分と同じで、異生物に一撫でされただけで、物言わぬ骸となるのは間違いないのだから。
「まいったな、初めてのケースだな。異生物を探し出せるようなのがうちのチームにもいればいいんだが・・・」
 健二の呟きに涼子は頷きを返す。たとえば、第二小隊のポインタである勝呂は、魔法使いである。秀と同い年である彼は、魔法によって近辺にいる異生物の存在を感知できる。健二も同じことを考えたのだろう、言葉を続ける。
「達樹が勝呂よりも劣っているとは全く思わないが、こういう状況になると、魔法使いがいないチームってのも辛いもんだな」
「無線がオープンになってるぞ」
 ちょっと怒ったような声がイヤホンから聞こえてきた。
「まあ、待ってな、今、大塚駅前についたからよ。俺がきちんとポインタの仕事をこなせば、問題ないんだろ?」
 悪戯っぽい達樹の口調に、後衛の二人は顔を見合わせた。
「え、居場所、わかるの?」
「すぐに出番まわしてやるさぁ」
 涼子の問いに、からかうような達樹の言葉が返ってきた。
 随分自信満々ね、と涼子は呟くと、異生物用ライフルに特殊AP弾を装填する。今回は援護用のB装備だったので大口径ライフルを持ってこなかったのだ。よって口径が小さくなった分不足する殺傷力を、弾丸で補うのだ。
「涼子さん、健二さん。私たちは上空で待機です。まずはターゲットを確認してから、です」
 緑の言葉に、涼子と健二は頷きを返した。

 大塚駅前でパトカーから降りた達樹は、警官の指示で非難させられている人々を眺めた。タクシーや車で北大塚方面周りで帰ることを余儀なくされている人々。タクシーは売上が上がると喜んでいるだろうが、あまり長々とこの状況を続けているのもまずい。達樹は自分の中に湧き上がる焦燥感と向き合うことにした。
 ――隊長も数年前にマナを扱う感覚を掴めるようになったと言っていた。何も先天的なものだけではないのだ、と。きっかけさえ掴めれば、扱うことができるようになるはずだ、と。
 達樹は、急かすでもなくじっと見守ってくれる須藤の存在を心強く感じる。一つ深呼吸をして、自分を焦らせる存在がどこにいるものかと念じてみる。
 力をこめてみたり、目を閉じてみたり、唸ってみたり、どう力を入れていいか分からないがとにかく色々と試みてみる。
「達樹、いきなりゴールに辿り着こうとするな。まずは一番身近なとこから始めるといい。自分を感じ、自分に触れている部分を感じ、そしてその感覚を広げていけ」
 須藤の言葉が達樹の肩の力を和らげる。達樹は頷くと、まずは一番近い存在である、自分を見つめることから始めた。
 自分を見つめる。自分の存在から感じるもの、様々な雑念が生じては霧散する。妻の記憶、仲間の記憶、そういったものが去来した後、突然ぽっかりと広大な空間に抜け出たような感覚を達樹は感じた。自分の肉体から離れ、自分を見下ろしているような感覚。そして、一気に自分の周りの世界を認識していく。
 隣に立つ隊長と秀の存在を感じる。バスロータリーの植込み、警官、車、小動物、虫、人々、駅前のビルの中にいる人々、上空のヘリの中にいる仲間・・・
 そうして達樹は自分を焦らせる存在のいる方向を感じた。達樹はその方向に顔を向ける。
「あっちだ」
 呟いて、自分の身体をそちらの方向に移動させる。自分の身体から抜け出し、俯瞰で世界を眺めている感覚に身を置きながら、焦燥感を駆り立てる存在そのものを求めて、足を運ばせる。後ろで隊長と秀が頷きあってついてくるのを感じる。
 新大塚駅方面へと進むと、途中で右折する。この先は、最初にヘリから降りた学校になる。学校の手前で左折すると、住宅街の奥にその存在を感じた。もう大丈夫、捕捉した。達樹は集中を解く。今まで感じていた夢遊感が取り払われる。外から操っていたような感覚もなくなり、自分の身体を動かすのにしっくりした感じを受ける。ショットガンに一粒弾(スラグ)をつめ、ハンドガンを構えると、後ろに従っている須藤と秀に目で合図する。
「行きます、学校におびき寄せます。おそらく熊型」
 達樹の言葉に須藤は頷くと、頭上の緑に連絡する。
「聞こえたな、緑。後衛は学校の屋上で待機だ。涼子と健二を屋上に降ろして、ヘリは上空で待機してろ」
 了解の言葉とともに、ヘリが学校へと移動していく。それを見送ることもなく、達樹がするすると移動していく。
 ――あの感覚にならなくても、ここまで来ればビリビリと伝わるぜぇ。待ってろ、今仕留めてやるからよ。
 達樹の視線の先にはマンションが移る。そして、マンション脇のゴミ置き場に見える黒い影。2mを越えるだろうその影は、ゴミ袋を引っ掻き回している。
 充分に近づくと、達樹はハンドガンを撃つ。比較的貫通力を重視したその弾丸は、異生物の分厚い毛皮を貫くが、しかし大きな損傷を与えることはできない。
「ちっ、最初っから熊型だって分かってれば、ダムダム弾用意したのによっ」
 異生物は、撃たれたことで達樹の存在に気づいたのだろう。向き直って達樹の姿を捉えるとガルルルルルと唸り声をあげる。
 異生物の突進力を考慮し、一足飛びに詰められないだけの間合いを確保すると、達樹はじりじりと後ずさる。達樹の動きに引き込まれるように異生物が前進する。須藤は秀に達樹の援護を任せると、自分は異生物の背後に回るべく横の道へと走る。
「そうだ、追ってこい。お前に怪我を負わせたのは俺だぜ」
 達樹は挑むように笑うと、更に銃を撃つ。流れ弾が民家に当たらないように、狙うのは的が大きい胴体にとどめている。弾が当たるたびに異生物の歩みが一瞬止まるが、その分厚い筋肉がダメージを止めているのだろう、異生物にダメージは見受けられない。
「けっ、BB弾扱いかよっ。まったくあいつらは反則だっての」
「達樹、BB弾じゃないの、用意できたよ。反則には反則で相手したげっから、早く入場ゲートを通過させてよね」
 達樹の耳に、無線から涼子の声が飛び込んでくる。全く、遅いんだよと悪態をつくと、達樹は秀に視線を送る。
 それから、達樹は一気に間合いを詰める。横には秀がつき従う。
 つかず離れずの微妙な距離にいる小さいのが、自分に何かをぶつけてきている。異生物は小さくはない痛みに気を悪くしていた。しかし、自分が近づくと、その分小さいのは離れていく。無視しようにも、時折痛いものをぶつけてくる。異生物はイライラとした気分だったのだが、その小さいのが急に自分の下へ飛び込んできた。前足を振るえば届く距離だ。いつも獲物を屠るように、異生物は前足を振り下ろした。
 しかし、自分の爪に何も感触がない。そればかりか前足に軽い痛みが走った。振るった前足を見ると、それを受け止めるように獣の腕がそこにあった。怒りで気づいていなかったが、小さいの脇に、似たようなのがもう一匹いたのだ。邪魔された怒りに咆哮をあげると、腹部にさっきまでとは比べ物にならない痛みが走った。
「今度のは、BB弾じゃすまないだろっ」
 スラグをぶっぱなした達樹が叫ぶ。そして、脱兎のごとく駆け出していく。
 あいつだ、あいつを手にかけなければいけない。その爪にかけ、ばらばらに砕いて、そして喰らってやるのだ。異生物は四つんばいになると後を追って駆け出した。もはや、他のものは目に止まらなかった。
「涼子、マーキングはどこだ!」
 走りながら達樹が叫ぶ。四つんばいになった異生物はかなり早い。スラグでダメージを与えておいたから追いつかれてはいないものの、追いつかれるのは時間の問題だ。それに何より、アーマージャケットと銃を装備して走るのは疲れる。
「門から近い方のサッカーゴール前。ペナルティースポットだよ」
「まったく、趣味のいい場所を選んでくれるもんだよっ。PK外すなよっ」
 達樹は門を抜けて学校に入ると、校庭へと走る。目指す場所を確認すると、ラストスパートして振り返る。
 振り返った達樹に向かって、異生物が突進してくる。達樹は動かない。
 異生物が達樹の眼前に迫った瞬間、乾いた音とともに、異生物の頭が爆ぜた。達樹は一歩飛び退くと返り血をかわす。
「ナイスシュートだな」
「達樹もナイスアシストだったよ」
 涼子の答えに、達樹は笑い声をあげる。
「ばっか、お前、PKにアシストがあるかよ」
 ひとしきり笑ってから、達樹は気難しい顔で異生物の血に汚れた校庭を見つめる。すぐに処理部隊がくる。だが、この血の跡は暫く残ってしまうだろう。この校庭では、しばらく体育の授業は外でできないかもしれない。
 アクスに入る前の自分を、達樹は一瞬思い出した。校庭で子供たちに囲まれた自分の姿が脳裏に浮かぶ。
 ――それでも、さ。この血が異生物の血でよかったじゃないか。子供たちの血じゃなくってさ。俺がアクスで戦ってるのは、そういうことなんだ。
 ようやっと追いついてきた秀と須藤に振り返って達樹は笑う。自分の過去や逡巡、辛い思いなんていうものは、そんなに大きなことではないのかもしれない。だから、達樹は笑う。仲間といるときは、大抵のことを笑い飛ばすのだ。
「隊長、秀、おせーよ。これぐらいの距離走って息きらしてちゃまずいって。俺が体育の授業してあげましょーか?」
 達樹の言葉に、秀は笑う。そして、笑いながら、屈託のない達樹の言葉に胸を撫で下ろした。


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