異界の門


藤 涼子:2

「姉さん、そんなカッコで行くの?」
 振り返ると、弟が情けないような顔で自分を見つめていた。
「今日、金メダルのお祝いにゴハン食べに行くんでしょ? ちゃんとしたフランス料理のお店だって言ってなかったっけ?」
 続く弟の言葉に頷くと、弟はやれやれというように首を振ってから、涼子の手をつかむと部屋へと引っ張っていく。
「姉さんは美人だから、どんなカッコも似合うし、そういうラフなカッコもいいけどさ。さすがにちゃんとしたフランス料理の店にジーンズはダメだって」
 涼子の弟である英美(ひでよし)は、まるで自分のタンスであるかのような気安さで涼子の洋服タンスを漁っている。
「でもさぁ、ヒデくん。そんなにかしこまることないと思うのよ。ホントにトモダチ同士でお祝いするのよ?」
 涼子の抗議に英美は、何もわかっちゃいないという表情でこたえる。
「あのさ、紀子さんが気を利かせて必要以上にちゃんとした店にしたの、分からないかな。姉さんはアクスだから表立ったらマズイんでしょ? こないだの紀子さんのインタビューで、調べる気になれば昔の大会で紀子さんを負かしてきた“藤涼子”って名前が出てくるでしょーに。そしたら、2年前のコトとかも分かって、そして、現在姉さんがアクスにいるの分かっちゃうでしょ? 記事になるかは別だけどさ」
「それと、これと、どういう関係あるの?」
「ちゃんとしたお店だったら、ゴシップ記者が近づきにくいでしょってことさ」
 そして、英美は洋服タンスからチョイスしたワンピースとサマーカーディガンを涼子に渡す。
「ほら、分かったらちゃっちゃとそれを着る。その間に、コサージュとネックレス選んでおくからさ。せっかく健二さんとか栄真さんが色々くれるんだから、たまには使わないとね」
「ホントよねぇ。やれ、誕生日だ、クリスマスだって色々くれるんだもの。何だか悪くなっちゃって。あたし、あまりこういうのつけないのにね」
 首を傾げる姉の姿に、英美は自分の姉に惚れている井上健二と榊原栄真の顔を思い浮かべ、可哀相にと同情する。姉はこういうことには全く疎いのだ。一時期は自分のために独り身でいるのかとも思ったものだが、今ではそういう心配はしていない。
 栄真よりはかろうじて趣味のよい健二が贈ってくれたハズの、デコレーションの控えめなダイヤのネックレスを選び、白を基調としたワンピースに合うように、夏らしく水色のバラのコサージュを選んで、着替え終わった姉に渡す。
「んー、何か、結婚式に呼ばれたみたい」
 鏡を見て涼子がつぶやくと、英美は満面の笑みで答えて送り出した。
「心配しないでも、結婚式の時はもっと華やかにしてあげるよ」

 銀座に着くと、何とはなしにビルなどを眺めながら歩く。ここでも何度か異生物を退治している。銀座は意外と狙撃できるスポットが少ない。ビルが多く射線がイマイチ確保できないのだ。
 涼子は、せっかくの非番にディナーにお呼ばれなのに、何を考えているのかしらと苦笑する。でもいざという時のために、つい配置や移動経路を考えてしまうのは、アクスに入ってから身についてしまった職業病だ。
 店に着くと予約の名前を告げる。すぐに席に通されると、品田紀子はすでに到着していた。
「紀子、おめでとう」
 涼子は花束を渡す。これも弟に「忘れないように」念押しされたものだった。
「ありがとう、涼子。さ、座って」
 それから、もらった花束を意外そうに眺める。
「涼子にこういう気の利かせ方ができると思わなかったなぁ。さては英美クンの発案だね?」
「小姑みたいにうるさいのよ?」
 涼子が笑って頷くと、紀子は懐かしむような顔をした。
「大会の時にいつも心配そうな顔してついてきてたものね。どっちが年上か分からないみたいにさ」
「ヒデくんは変わらないよ、とってもイイ子。ね、金メダル見せてよ」
 紀子は涼子を眺めて、安心したように頷く。
「涼子も変わってなくて嬉しいわ。さ、慌てないでまずは乾杯しましょうよ」
 どっちが祝う側の立場なんだか、紀子は苦笑する思いだが、この人を和ませるマイペースぶりが失われてないことに安堵する気持ちだった。常に生死の狭間で生活することがどんなことなのか、彼女の天真爛漫さを失わせることにならないのか、紀子は心配し続けていたのである。

 高級なワインに贅沢なフルコース。店と料理のチョイスは紀子が行った。涼子には任せられないのだ。涼子は自分が味音痴なため、あまり食に頓着したところがない。雑誌などの評判がよければすぐに決めてしまう。雑誌で宣伝してても、本当に美味しい(と自分が感じる)ところってのは数少ないものだ。以前に何度か雑誌で評判の店に連れて行かれたが、確かにソコソコだったが値段の割にどうよと思うことも多く、紀子としては涼子に店の選択を任せないのが鉄則になっている。
 だから、料理についての感想なんかは、涼子には求めない。食事については自分が満足すればいいのだ。涼子は匂いには敏感だから、香りのよいワインを勧めておけばいい。
 程よく酔いがまわってきたところで、勿体つけて金メダルを取り出す。涼子の目の輝きに、紀子は満足した微笑をもらす。「首にかけてもいい?」との問いに快く頷くと、紀子は自分から涼子の首に金メダルをかけてあげた。
「結構重いんだねぇ。ずっしりくる」
 涼子の目の輝きに、紀子は涙しそうになった。涼子が自分と同じく金メダルを目指して競技をやっていたのを知っているからだ。2年前の事件を機に、彼女は守る側へと回った。そして、守られる側であり続けた自分は、彼女が心から欲していたものを手にすることができた。
 勿論、自分のためにも金メダルがほしかった。紀子にとっても金メダルは小さい頃からの夢であったから。だけど、自分のライバルがその選択をした時、彼女の分の想いも受け継ごうと、紀子は勝手にそう思ったのだ。諦めざるを得なかった夢は、自分が引き継ごうと。彼女に一回も勝てなかった自分が金メダルを手にすることは、それは彼女が金メダルを取ったのと同じはずだと。
「その金メダルは、涼子のものでもあるからね?」
 万感の想いを込めて紀子が言うと、涼子は笑って首からメダルを外した。
「紀子が考えそうなことは分かるよ。でも、やっぱりこのメダルは紀子が自分で頑張って、そして勝ち取ったものだよ」
 そして、金メダルを紀子の手に握らせる。
「紀子には分かってもらえると思うけど。あたしは、紀子とか、いろんな人が、頑張って夢をかなえられれば、それがあたしにとっての金メダル。だから、あたしは毎日金メダルを貰ってる」
「でも、もしかしたら、って思わない? もしも2年前・・・あれがなかったら、あそこで金メダルを取っていたのはあたしだったかもって」
 窺うような紀子の視線を、涼子は笑って否定する。
「そんなこと、考えたこともなかったよ。考えたってしょうがないもん。2年前のことは、間違いなく起きたのだし、それに、競技をできなくなったんじゃないよ? 自分で競技よりももっとやることがあるって選んだんだもん。金メダルは確かに夢だったけど、夢に破れたんじゃなくて、違う夢を見つけたの。ホントよ?」
 そして、紀子の手を包むように握る。
「でも、紀子の気持ちは嬉しい。やっぱり、あたしにとっても紀子の金メダルは自分のことのように嬉しかったもの。ありがとう、紀子。ほんとにおめでとう」
 二人でひとしきり「ありがとう、おめでとう」と泣きあってスッキリしたようで、それから二人は他愛もない話をしていたのだが、紀子はふと思いついて訊いてみた。
「そういえば、あたし、インタビューで涼子のこと言っちゃったでしょう? あれから、マスコミとか来なかった?」
「ん、今のところはね。まあ、2年前から公にあたしの名前出てこないし。2年前以前のことはそのうち報じられるかもしれないけど、あたしの今の所属がバレなければお咎めはないから」
「そっか、それなら良かった。あの時は勢いで言っちゃったけど、冷静になったらヤバイかなって」
「かーなーり、考えナシだとは思うけどね。でもまあ、ライフルなんて人気競技じゃないから、金メダル取った紀子は騒がれるかもしれないけど、あたしのことなんか調べようって物好きはいないんじゃない?」
 弟には2年前のことが判れば現在アクスにいることがばれるだろうとは言われたが、涼子としてはそんなにアクスのことを過小評価していない。メディアに圧力をかけられるというのとは別の意味で、アクスが所属隊員についての情報を伏せている理由を、メディアが判ってくれていると思っているからだ。
 ただ、自分の生い立ちと、2年前の事件と、そして紀子の金メダルというのは、美談にしたてられる格好の素材であることは充分に理解できる。メディアがすっぱ抜かないとも限らない。
「でもさ、何で、アクスの隊員って公表されないの?」
 紀子は以前から疑問に思っていた。アクスの隊員は命を懸けて戦ってくれている。何でそれを隠しているのだろう、と。
「あたしたちが、異生物が現れると共に駆けつけて、被害者出さずに倒せればね、それでもいいんだけど」
 涼子は自分たちが駆けつけた時の、傷ついた人々や命を亡くした人々のことを思い出す。
「あたしたち、圧倒的に人数が足りてないのよね。東京は混雑してるしさ。あたしたちが到着するころには、犠牲者出てたりするわけ。遺族にしてみたら、あたしたちを憎むしかないわよね。もっと早く到着してれば死なないですんだのに、って」
 紀子は絶句する。アクスは感謝されこそすれ、憎まれるとは思ってもみなかったのだ。
「でも、それって・・・涼子たちの仲間だって亡くなったりするわけでしょう?」
「そう思ってくれる人もいるわ。でも、やっぱり親しい人が亡くなったら、その憤りを何かにぶつけたいものでしょう? それはあたしにもよく判るわ。あたしは異生物にぶつけることにしたし、そうするだけの力があった。でも、力のない人たちは助けが遅れたことに怒りをぶつけるわ。それが組織に対してのものならいい。だけど、隊員個人に向けられると、あたしたちだって耐えられない。だから、アクスの隊員は公表しないの」
 紀子は、自分のしたことがいかに危ういことだったのか、初めて理解した。紀子は自分が金メダルを取れたのは、アクスで守ってくれる涼子のおかげだと言いたかった。でも、個人名を出してはいけなかったのだ。
「ごめんなさい、涼子・・・それじゃ、あたしのしたことは、涼子をそういう憎しみの的にするかもしれないことだったのね」
 紀子はうなだれたが、涼子は紀子の肩に手を置くと、大丈夫というように笑う。
「大丈夫じゃない? そうしたら、きっとアクスは宣伝するわ。あたしと紀子を使ってさ。金メダルを諦めて人々を守ることを誓った少女と、夢を引き継いで見事金メダルを獲得した少女の話。映画にでもしたら人気出ること間違いなしよ」
 冗談めかした涼子の言葉に、紀子は幾分励まされた気持ちになる。
「ほらほら、今日は紀子のお祝いなんだからさ、そんな顔されちゃたまらないって」
 紀子は頷く。涼子が気にしてないのに、自分が気にして落ち込む方が、涼子に対して失礼である。
「映画になったら、配役は誰になるかな?」
 紀子の声に、涼子はクスクス笑う。
 あたしの役は誰にやってほしい。あなたの役は誰があっている・・・二人のお喋りは、閉店まで途切れることなく続くのだった。


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